病気になった時に、母がいて有難かったこと

かんブログ
ペイシェントボイスカフェというイベントに参加して

今日はペイシェントボイスカフェに参加した。
鈴木信行さん主催の、患医ねっとで開いているオンラインサロンというのか、集う場の1つ。

病気をもつ人が薬剤師さんに向けて、病気のことやお薬のこと、医療従事者との関わり等
その日によってお話の内容や進み方、出てくる質問も違うのがいい。
今日の登壇者はご兄弟で、当事者やご家族としての気持ち等をお話下さった。
ご家族の方は医療従事者の方で、専門的な内容でも分かりやすかった。

弟さんからお薬について相談を受けたりしたとお兄様が話されているのを聞いて
自分がギラン・バレー症候群で入院した時期のことを思い出した。

私の母は、手術室勤務の看護師だった。
病院に勤務していた方から「オペ看」というのだそうだ。
何だか専門用語ぽいなと、それからは使わせてもらっている。

母のおかげで、ギラン・バレー症候群は「神経内科」にかかると知った。
知らなければ、多分内科とかに行ってだろうし、すぐに分からなかったかも。
診断の際、ギランバレーならこの変化が出るみたいな根拠を積み上げていく。

似た症状の出る他の病気と区別していくのだと医師から聞いたが、正直、ギラン・バレー症候群の
可能性ということ自体、診た経験のない医師には選択肢として上がりにくいのかもしれないと、
患者会に参加して他の方の体験談を聞いた時に感じた。

診断がつかない間に急性疾患なだけに根拠となる数値や変化が治まってしまい、
「ギラン・バレー症候群だったとは思います」なんてことになってしまう。

私は問診の段階で「ギラン・バレー症候群です」と言われたので、そんなことがあるなんて、
患者会に出るまで知らなかった。

病院によって、ギラン・バレー症候群の患者を診た経験がないところもあるし、私はかなり
経験豊富な方の病院で治療とリハビリだったけれど、違っていたらやり方だって進め方だって、
全く違っていたかもしれないのだと改めて気づかされたのだ。

最初の診察でさえそうなのだから、医療従事者や経験者が近くにいるというのは、
それだけで患者にとって心強い部分だろう。

1日の内、ほんの数分何回か来るだけの看護師では気が付かない事も、家族なら気づく事も有るし、
それが医療従事者ならではの見方や経験のおかげだと感じた事も少なからずあった。
さすが専門職と思わざるを得なかった。

きっと母の存在+子供の時から体が弱く病院慣れしていた経験とで、私は医療従事者との
コミュニケーションに戸惑う事もなかったし、言いたい事を素直にあれこれ言えていたのだと
思うけど、それがほとんどの人ではないのだとギランバレーの入院で知った。

聞きたいことがあっても、聞き方が分からない。
質問したいけど、何から聞いたらいいのか分からない。
説明をもう一度してもらいたいけど、申し訳なくて言い出せない。

病気をもつ人の集まりでも、良く上がるこうした病気をもつ人の医療従事者と本当はもっと話したい
という想いは、医療従事者側も実は待っていたりすることらしい。

「頼ってもらいたいし、何でも話して欲しいし、気になる事は言ってください」
そうは言ってくれるけど、忙しすぎてとてもそんな雰囲気じゃない。
でも本当は聞きたいと思ってるし、知りたいとも思っている。

医療従事者側もそう思っていると教えてくれたのも母だし、母にそう言われてようやく
勇気を振り絞って話してみる気になった。

医師や看護師や療法士からの反応も、それを裏付けているものだったと思う。
でも、実際に医療従事者だった母の言葉だから出来たけど、違ってたら言えなかったかも。
家族という立場は同じなのにと思う。

質問の仕方も、説明が上手く出来ない時の代弁も、具合が悪い時の説明も、看護師が忙しくて
待たされる事に慣れ、全て無気力になりかけていた私のメンタル面のサポートも、今思えば
全て母が文句も言わずにやってくれたのだと気づく。

いつか闘病記録を書く時の為に、寝たきりの自分に変わって記録を取って欲しいと思っていたら、
それもしっかり細かく、カルテの様に書いてあった。

自宅リハビリの練習で、自宅に帰った時の記録帳を母がつけてくれていたが、病院に戻った際に
担当看護師に渡したら、「同業者ですよね?」と一発でばれて大笑いだった。

記録の録り方で看護師だとすぐわかるそうだ。
バレると気を遣われるからと、すごく隠していたのに、無駄だったね。
でも本当に、入院中の母には何から何まで感謝しかなかった。
看護師の母で良かったと思う場面しか思い出せないくらい。

また、看護師だった母がついているからと、本来ならもう少ししてから見たいな事も
そんな家族がいる時ならと許してくれたことも少なからずあった。

より細かい助かった事は、カルテ開示をして細かなところも思い出せたので、
これから書こうと思うけど、存在自体が心強かったんだなと感じたので、
まずはやっぱり違うって事なんだろうな、っていうそんなお話。

何か普通の服なのに、病室にいる時の母はこんな風に見えていた、かも。

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