医療関係のセミナーやイベントでは、ほとんど必ず所属や属性を聞かれます。
自己紹介で「製薬メーカー勤務です」とか「〇〇病院で、研究開発をしています」とか、
申込の前のアンケートにも、必ず記入欄があります。
私は患者ですと言いますし、アンケートにもそう答えますが、
たまたま検索ワードに「患者」と打ち込んだところ、
呼び方が「患者様」→「患者さん」になってきたという記事が。
余り意識してなかったのですが、そういえば「患者さんのご家族ですか?」と
お見舞いの人が聞かれていたなと思い出しました。
元々「患者様」は、医師主導から患者中心の医療へ意識が変わってきた時期に
出て来たとか、病院も患者さんに来てもらうってことでサービス業だからみたいなのも見て、
驚きました。
患者様は、今聞いても何となく違和感がありますし、
自分が病院で言われたら、ちょっと複雑な表情になってしまいそう。
看護師さんから
「患者さんはこちらへ。ご家族の方は待合室でお待ちください」
と言われますが、やっぱりその方がいいですね。
様を付けてくれるなら、文書等で名前に付ける位かなと私は思います。
そこまで考えて、ふと思い出した事が。
ギランバレー症候群や、他の難病等の患者交流会で、
そもそも「患者」という呼ばれ方自体が嫌だという意見が出たりします。
しかも、結構そう話される方は多いのです。
ギランバレー症候群の場合は、発症後は急激に悪化します。
治療・回復・リハビリの期間は、本当に人それぞれで、
人工呼吸器を装着する重症度5(0~6段階あります)の方でも
急速に回復される方もいれば、長くリハビリを続ける方もいますし、
他の重症度でも同じ様に人それぞれです。
そのためかもしれませんが、ある程度日常生活に不便や支障は感じていたとしても、
「もう患者じゃない」「治療は終わっているから元患者」
「元患者とも呼ばれたくない。今はあくまでも市民」等
患者という呼び方そのものをとても嫌がる方もいます。
アンケートや自己紹介で属性の話が出るたびにふとそう話された時のお顔や、
辛そうなご様子を思い出して、何とも言えない気持ちになるのです。
治療中の辛かったことを思い出すとか、病院で嫌な思いをしたことを思い出すとか
理由は色々あると思うのですが、病気になったことすら思い出したくない
もしくは忘れたいという感じがしました。
私も、たまにそういう気持ちになる事も有ります。
なかったことに出来たらとか。
でもそれは無理だしなと思うのです。
たまにですが協力していた、献血に行けなくなったとか常にある痺れや倦怠感、
急いでも走れない、上手く笑えない、食べる時ボロボロこぼす、
歩くのも格段に遅くなったし、ちょっとの段差でも足が上がらなかったりとか、
常に日常としてあります。
だからこそなのかもしれませんが、区分けとして患者になるのは事実ですけど、
何でわざわざ聞かれなくちゃいけないんだって、つい反発したくなるのかもと感じたのです。
イベントを進めるにあたって、分かっていた方が進めやすい等の主催者側の事情も分かります。
けど、患者側としていつまでも治っていないという現実そのものを突き付けられた様に
感じてしまって、丸やチェックをつけるのを躊躇われるという気持ちも分かるような気がするのです。
だからといって、聞くな!って事ではないですよ。
先ほども書きましたが、主催者側の事情も分かるので。
ただ、そういう気持ちになる人も少なからずいるってことを思い出したので書きました。
病気になったこと自体が引け目。隠さないと仕事が出来ない。
家族にでさえ理解を得られず、治ったんでしょ、いつまでも甘えないでと言われた。
そういう経験や生活を続けていて、そんな気持ちになったいった方もいるんだと
知って欲しいなと思いました。
最近は患者の意見を取り入れた医療と言われ始めて、活動も広がっています。
インフォームド・コンセントも広まり、Web上で簡単に情報が得られたり、会わなくても
コミュニケーションが取れたりもしています。
でも、まだまだそういう表面には表れない人の思いも多いんだなと感じたのです。
頭では分かっているんだけど、何となくそう思ってしまうって事ありますよね。
余りにもしっかりしてなくてもいいと思うのです。
病気になって、乗り越えてるだけでも頑張ってると思えるので。
甘えすぎてはいけないけど、そうなんだねって寄り添ってあげられる人は
周りに必要です。
病気が引け目になって、辛い思いをされる方が少しでも減る社会になればと思います。
患者側も、医師とのコミュニケーションをしっかりとったり出来る事はしながらで。
なかなか進まないでしょうけど、少しずつでもと思います。
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